google.com, pub-6886053222946157, DIRECT, f08c47fec0942fa0 世界遺産・日光大紀行: 東北紀行(72)金山 「金山の宿場」

2012年7月19日木曜日

東北紀行(72)金山 「金山の宿場」

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  東北紀行(72)金山 「金山の宿場」  ,



金山の旧家
大正初期に建てられた金山型住宅の原型とされる「カネカ邸」、店内では和洋装品を営んでいる。 又、弥生の時期になると最上地方独特の「雛祭り展示会」が開かれ、旧家・カネカ邸の客間には江戸中期の雛人形の各種段飾りや五人囃子(京雛)などが展示されるという。




泥湯温泉から一旦雄勝町(湯沢市)に戻り、国道13号線、通称、羽州街道を南下する。
奥羽本線と並行しながら雄勝トンネルを抜けると山形県に入り、最初の町が金山町である。 
自然豊かで風光な町であるが、特に金山地区は古い建物が多く目立つ町並みである。


一般に、街道沿いの国境の峠の麓には概ね宿場が置かれていた。 
この地域も江戸時代には羽前(山形)と羽後(秋田)の国境で、羽州街道に沿って金山宿が置かれ宿場町として栄えたという。

金山宿から先は、秋田県まで金山峠(森合峠)~主寝坂峠~雄勝峠と厳しい峠が続くため、参勤交代をする秋田や津軽の諸大名が必ず泊まる宿場で、そのための本陣や脇本陣が置かれていたらしい。


因みに、「本陣」(ほんじん)というのは元々は戦場において大将の位置を示す本営のことを言ったが、やがて武将の宿泊する場所を指すようになった。
宿場大名や旗本、幕府役人、更には勅使(天皇の詔勅を伝達するために派遣される特使)、宮様、門跡(もんぜき:皇子・貴族などの住する特定の寺の称やその寺の住職のこと)などが使用した宿舎がそうである。

本陣に勤める者は宿役人の問屋や村役人の名主を兼ねている者が多く、そこの主人は苗字帯刀を許され、門や玄関、上段の間等を設けることが特権のようになっていた。 従って、原則として一般の者を泊めることができなかった。
しかし、大名もそう度々泊まるわけではなく、江戸時代も後期になると経営難に陥る所も少なくなく、他の仕事を兼業している場合もあったという。

又、脇本陣(わきほんじん)というのは本陣の予備的施設で、大きな藩で本陣だけで泊まりきれない場合や宿場で藩同士が鉢合わせになった場合の格式の低い方の藩の宿として利用されるなど、本陣に差し支えが生じた場合に利用された。 
それ以外の時は一般旅客の宿泊にも供した。 
規模は本陣よりも小さいが、諸式はすべて本陣に準じ、上段の間などもあり、本陣と同じく宿場の有力者が勤めた。



金山町は、明治期の村制施行、大正末期の町制施行以来、町域の変更がなく、更に、昭和の大合併・平成の大合併と幾度もあった合併の流れにも加わらず、しかも、そのことを町の誇りとするなど独自色の強い町でもある。

次回、「真室川






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