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東北紀行(64)角館 「角館の概要」 、
角館のシダレ桜と角館の街の略図(角館観光)
城下町としての角館は中世末期、戸沢盛安によって創建されたという。
戸沢氏の家系は桓武平氏・平衡盛を祖とした名家で、戦国期には角館を中心として仙北地方に一大勢力を誇った家柄であり、盛安は戸沢氏十八代目の当主に当たる。
古城山に館を置き、当初その北側の山麓に城下町を築いたとされる。
しかし、戸沢氏が国替えとなり、後に着いた芦名義勝の代(佐竹盛重;初代秋田藩主・義宣の弟で芦名氏に婿入改名)には、その地が不利として改めて古城山の南側に新城下町を建設した。
この地は三方が桧木内川などの川と周囲は山に囲まれ、天然の要害を成していて、これが概ね現在の角館の街の姿である。
街は「火除(ひよけ)」と呼ばれる広場を中心に北側は武家屋敷が建ち並ぶ「内町(うちまち)」に、南側は町人や商人が住む「外町(とまち)」に区分された。
「内町」は、築200年近い屋敷が建ち並び黒板塀に垂れ下がるしだれ桜が続き、この武家屋敷群の表通りは、国の重要伝統的建造物群保存地区の指定を受けており文化財として保護されている。
「外町」は、内町と対照的にびっしりと商家などの町並みが続き、歴史を感じさせる。
古い建物や土蔵も数多く残り、町の人はこの空間を大切にしながら商店地などに活かしていた。
この嘗ての町割りが390年あまりたった今でもほぼ変わらず残っているという。
内町の武家屋敷群は、現在の町名で主に東勝楽丁や表町下丁・上丁があり、その道路は途中、桝形になって行き止まりのように見える箇所がある。
これは城下町でよく用いられる手法で、見通しを避け、防衛する役割をもっていたされる。 無論、現在その意味は失ってしまったが、屋敷境としての景観の演出効果を果たしている
のである。
この街の主要通りは、桜はシダレザクラで、その他は常緑樹、落葉樹の木立が大きいのが特徴であろう。
特に名物シダレザクラは、塀から通りへと流れ落ちるかのように枝を伸ばし、風に揺れながら舞い、優雅な雰囲気を醸し出している。
芦名家から代わった佐竹北家の初代当主・義隣の子・義明(よしあき)は正室として京の公家・西三条実号(さねな)の娘を迎えた。 その結果、北家二代の間には角館には京との深い交流が生まれた。
御輿入れの際、京都円山公園の「枝垂れ桜」が内町の武家屋敷に移植されたのを始め、京から多くの文物が取り入れられた。 これらが「みちのくの小京都・角館」と言われる所以かもしれないのである。
このシダレザクラを嘆賞した、歌人・斎藤茂吉は名歌を残した。
『 春ごとに 枝垂り桜を 咲かしめて
京しのびしとふ 女(おみな)ものがたり 』
尚、「男はつらいよ」で有名な山田洋次監督が当地で「隠し剣鬼の爪」(青柳家)、「たそがれ清兵衛」(岩橋家、松本家)等を撮影場所としている。
因みに、両映画はいずれも藤沢周平作品の本格時代劇で、幕末に生きた名もない下級武士と家族の姿を日本に残る美しい風景とともに、胸を打つ感動と手に汗を握る興奮で描き、数々の映画賞に輝いている。
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