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東北紀行(63)角館 「角館と佐竹家」 ,
石黒家では特別に女性の案内係がいて、石黒家や角館の歴史や謂れをガイドされていたが、ここで初めて角館は佐竹家の支藩(北家)であった事が判った。
「佐竹氏」といえば小生にとって懐かしい響きを感じるのである。
先ず、小生の生母は山形旧家出身の「佐竹」と称していて、ヒョッとしたら出羽・秋田の佐竹氏とは何らかの因果関係があるのかもしれない。
又、我が故郷でもある出身地の東北南部の「いわき」は、秋田本藩二代目藩主の出身の地でもあるのです。
秋田の南に位置する岩城町は(2005年、由利本荘市となる)、江戸期には「岩城藩」または「岩城亀田藩」と呼ばれていた。
江戸初期に岩城亀田藩が設立され時、その初代藩主当たったのが岩城吉隆であった。
戦国期、福島県浜通りの「いわき地方」を治めていたのが岩城氏であったが、関ヶ原の戦いで苦渋をなめ戦後、磐城12万石は没収されてしまう。
だが数年後、岩城吉隆は大名復帰を許されて出羽亀田藩の藩主となるのである。
更に、岩城吉隆は子供のなかった秋田藩の祖・佐竹義宣の養子に迎えられ、秋田藩第二代の藩主となって「佐竹義隆」と名乗るのである。
話が反れたが・・、
女性の案内係に更に、“角館の町割り”は判ったが、統治者・佐竹氏(芦名氏)の主城は何処かと尋ねたところ、街の北の外れ「古城山」にあったと聞いた。
確かに、広い街路より小高い丘のような、小山のような姿が見えていた。
角館は佐竹氏支藩である佐竹北家が統治していたが、その主城は現在のその名も「古城山」にあったとされる。
創築は前代の戸沢氏によって築城されたといわれる。
戸沢氏は後に移封され、替わって常陸より佐竹義宣が羽後国秋田・仙北へ入部し、角館城には義宣の弟・盛重(後に芦名義勝と名を改める)が1万5千石で入れ置かれ、現在の角館のもととなる北麓に城下町を造り、お城を角館城として改築を行い、軍事的機能を優先した町づくりが行われた。
しかし十数年後、江戸幕府の一国一城令によって角館城は破壊されて古城山南麓に居館のみが設けられたという。
古城山には現在公園として整備競れているが、遺構として曲輪・土塁・堀が残っているという。
尚、当主・芦名家及びその後の佐竹北家の居館はどの場所でどのような威容を誇ったか、はたまた、現在、遺構や遺跡が残されているかは関知していない。
次回、角館の概要
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