東北紀行(61)角館 「岩橋家」 ,
次に、南へ下って辻から東勝楽丁(町名)の岩橋家を訪ねる。
苔生した屋根(茅葺から木羽葺き)の薬医門をくぐると案内板が先ず教えてくれる。
岩橋家住宅は案内板によると・・、
『岩橋家は北関東の名門会津黒川城主芦名氏(鶴ヶ城;70万石)の重臣であった。天正17年(1589)芦名氏が伊達政宗に敗れ常陸の佐竹氏を頼り常州江戸崎城4万8千石を与えられ、岩橋家も芦名氏に随従して江戸崎に移った。関ヶ原戦後、慶長7年(1602)佐竹氏の出羽移封とともに芦名氏も出羽に下り角館城1万5千石を与えられた。岩橋家は一時江戸崎を立退き津軽氏に300石で仕官していたが、主君の角館居住とともに再び芦名氏に帰参し角館に居住した。芦名氏が承応2年(1653)3代にして断絶するに及んで、代わって角館を支配となった佐竹家に召抱え(66石)られ廃藩になるまで仕えた。この建物は江戸時代末期に改造され、屋根も茅葺から木羽葺にかわったが、角館の中級武士の生活様式を今に伝えている』 とあった。
母屋前から前庭に通じる脇門からは屋敷内に入ると、秋景色をいろどる栗、赤松、山モミジなどの樹木が多く、なかでも樹齢300年とも推定されている柏の巨木は秋田県内でも非常に珍しいといわれている。
母屋は、来客用の主玄関と家族が出入りする脇玄関が設えてあり、屋内は江戸時代の武家屋敷の面影を残している。
だが、八畳間続きの居間や各部屋は上級武士としては質素な構えのようにも感じられた。
岩橋家は案内板にも記されているように戦国期から以来、芦名氏の重心として仕えている。 元より、芦名家は相模国三浦郡から興り、源頼朝の平泉征伐(奥州藤原氏)の際に功名を成し、1189年(文治5年)に会津の地を与えられた家柄で、14世紀後半に会津に下った後、黒川城(後の若松鶴ヶ城)を拠点に治世に努め、16世紀・芦名盛氏の頃には70万石の大大名として米沢・伊達家や常陸・佐竹家と並び称されるほどの力を有していた。
しかし、天正年間に伊達政宗との合戦(合戦名・・・)で大敗し、会津の戦国大名・芦名氏は滅亡して、実家縁者でもある佐竹家に戻ることになり、佐竹家の下、常陸・江戸崎城主となる。 (足名氏と江戸崎藩の詳細)
佐竹氏の与力家臣となっていた芦名氏(佐竹盛重、後に芦名と改名)は、関ヶ原の戦いでは兄・佐竹義宣と行動を共にしたが苦敗をなめ、除封されて義宣と共に出羽国(秋田県)に移ることになる。
その翌年(1603)藩主・義宣は一族にそれぞれ城を与え、弟・盛重は角館城代として一万五千石(芦名家譜には一万六千石とある)を領し、名前を芦名義勝と改めている。
岩橋家は主家・芦名氏の浮沈の運命に翻弄されながら、忠臣として共に会津から常陸へ、そして秋田本藩(久保田藩)から角館支藩へと苦闘敗戦を伴いながら、芦名氏とともに転々と行動を共にしているのである。
因みに、藩主・義勝の2代目後継者・盛俊(義勝の庶子)は20歳で早世していたため、往年の会津・芦名家の再興の夢を失った家臣の落胆は大きく、特に、当主・岩橋又右衛門は盛俊の死の翌日に殉死したとされる。
更に、盛俊の没後、嫡子・千鶴丸(せんつるまる)が一才で後を継ぐが、三才で夭逝、全くの予期せぬ不運が続き、芦名家は1653年(承応2年)断絶したのである。
家臣は当然のことながら大きく減封処分され、左遷、或いは他家への出仕という道をとらされ路頭に迷った家臣団であるが、岩橋家は幸いその後の佐竹北家に慰留されている。
家臣・岩橋又右衛門の墓は盛俊と共に芦名家菩提寺・天寧寺に建つ。
江戸期の岩橋家は石高86石を有し、角館では上級武士の位置にあったという。
次回、「河原田家と小田野家」
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