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東北紀行(59)角館 「石黒家」 ,
石黒家薬医門
石黒家屋敷と庭園
最初に訪れた石黒家は町名が表町下丁にあたり、武家屋敷通りの北の端に位置する。
何れのお屋敷もそうであったが、先ず黒塀に接続している「薬医門」を潜ることになる。
薬医門には文化6年(江戸末期の1809年)4月27日と書かれた矢板があり、道路側にはのぞき窓も付けられている。
薬医門というのは民家の大きな屋敷や武家屋敷、小寺の入り口に立つ重厚な門のことを指しているようだ。
そのいわれは、一説には矢の攻撃を食い止める「矢食い(やくい)」からきたという説と、又、かつて医者が優先的に通された門として使用したからとも云われる。
建物様式は、しっかりした四本以上の柱を建て、切妻型の屋根を乗せた門のことを言うようである。
門を入ると直ぐに主家があって正玄関と脇玄関の二つが並んでいる。
こような玄関を持つのは当然ながら、身分の高い武士の家だという。
玄関より主屋に通されると、いきなり座敷(部屋)の中でお客に向かって案内説明(ガイド)をしてくれている、これは有難い。
特に予約が無くても随時、係員が丁寧に5分ほど行っているようだ。
床の間や書院、火灯窓(上部が曲線状になっている形の窓で、禅宗の建築様式とも言われる)、大台所がいかにも格式を表す。
玄関に垂れる「枝垂れ桜」も風情があっていいが、奥庭の年輪を伺わせる樹木の配置も美的である。
石黒家は、財政勘定方の関係の役職で藩(佐竹北家)に仕えた家柄で、武家屋敷のなかでは現存する最も古いものという。
モミや枝垂れ桜など樹齢250年を超える深い木立ちのなかに、江戸時代そのままの姿で主屋、門、塀、土蔵などが保存されている。
主屋の建築年代は、18世紀から19世紀にかけての頃と推定されていて、屋根は萱葺きで、庭には水に見立てた苔が緑にしたたり、簡素なたたずまいが歴史を感じさせる。
次回、「青柳家」
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