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東北紀行(45)花巻 「花巻温泉郷」 ,
大沢温泉の全容と川を渡った離れにある情緒たっぷりの「菊水館」
少年の頃、宮沢賢治は信仰心の厚い父に連れられ花巻仏教会の講習会場だった「大沢温泉」に何度となく訪れていて、学生時代には悪ふざけをして湯を汲み上げる水車を止めてしまい、風呂場が大騒ぎになったという逸話も残っているという。
又、岳温泉の項でも紹介したが、昭和20年空襲で東京のアトリエを焼失した光太郎は、賢治の父を頼り、弟の家に一時厄介になるが、やがて花巻郊外の山口地区に庵を結び、以後7年間過ごすことになる。
そして、この地は大沢温泉へも5~6km足らずのところでもあり、のんびり歩いても行けるところである。
光太郎は花巻を愛し、大沢温泉を日常的に利用していたとも思われ、「この大沢こそ本当の温泉の昧がする」と喜んでいたのである。
尚、延暦年間(約1200年前)に、征夷大将軍・坂上田村麻呂が陸奥の国に遠征の際、この地に赴き(花巻の南、現、奥州市の胆沢城に本拠を置いていたとされる)、合戦の際、蝦夷軍の毒矢に負傷したが、大沢の湯に入浴してほどなく傷が癒えたという伝説もある。
ところで、岩手県の花巻温泉というと、普通、温泉一帯つまり花巻温泉郷を指している。
「温泉郷」というのは、普通、限定された地域に温泉が各地に湧出し、その地に温泉街や数件の温泉宿を有する地又は一軒宿の温泉名を有する地を云っている。
ただ、温泉郷という呼び名は正式な名称ではなく、観光ガイドなどに用いられる営業用の表現らしい。
昔は、箱根七湯とか別府十湯の様に名数で表したのが主流であったとか。
ただ、花巻温泉郷には実際に「花巻温泉」という名称が一部地域にある。
花巻温泉郷は、花巻市街地の西部(国道や鉄道の西側)に位置する温泉の総称であり、豊沢川沿いに先ず八湯が存在する。 松倉温泉、志戸平温泉、渡り温泉、山の神温泉、高倉山温泉、鉛温泉、新鉛温泉それに大沢温泉と個性豊かな一軒宿が点在し、その名も花巻南温泉郷と称している。
一方、花巻市街地のすぐ西側には花巻温泉、台温泉と新湯本温泉、金矢温泉などが存在する。
その名も「花巻温泉」は山間に近代的な豪華なホテルなどが数軒並び、旅行会社や団体客向けに利用されているようだ。 一方、台温泉は台川沿いの谷間に約20件の鄙びた旅館がひしめくように建っている。
何れにしても花巻温泉郷は歴史ある鄙びた一軒宿の温泉から豪華ホテルまで、特色ある温泉地が点在しているところが良い。
次回、「錦秋の岩手路」
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