google.com, pub-6886053222946157, DIRECT, f08c47fec0942fa0 世界遺産・日光大紀行

2012年5月16日水曜日

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 東北紀行(31)岩手 「奥州の不穏」  ,




坂上田村麻呂が蝦夷の地を平定し、朝廷の下、兵役や貢税などの取り決めをしてから凡そ100年の間、陸奥国、奥州の地には多少の小競り合いはあったものの動乱、大乱などは無かったようである。

しかし、平安後期になってくると、俘囚(朝廷の支配下に入り、一般農民の生活に同化した蝦夷)の長は地域同士の小競り合いの中、各地で柵を巡らし、戦闘を整え、中央政府に逆らって私腹を肥やし、果ては貢税などの滞納、拒否を行うようになる。

これら俘囚の長に代表されるのが、奥六郡(現在の奥州市から盛岡市にかけて)を支配する安倍氏(安倍貞任)や出羽・仙北地方の棟梁・清原氏(清原真衡)であった。 
特に、安倍氏は広大な地域に影響力を発揮していた。 
そして権力、兵力が増大するに従い、陸奥国の奥六郡(北上川流域)に柵(城砦)を築き、半独立的な勢力を形成していた。
更に、安倍氏は朝廷への取り決めを破り、貢租(租税)などの納付を怠る状態になった。 阿倍氏のこれらの施策は、朝廷に対する謀反であり、反逆とみされた。
これにより「前九年の役、後三年の役」が勃発することになる。



平安後期の東北北部は、再び戦乱の時代を到来することになるが、先ず、その当事者は安倍氏に対して途中からであるが清原氏が登場する。 そして、戦役の結果として清原氏が安倍氏を滅ぼすことになる。

安部氏は奥六郡を支配する俘囚の長であり、その出実については奥州に下った中央豪族である安倍氏が任地で子孫を残したとの説、又、飛鳥時代の7世紀中頃、日本海側を北に航海して蝦夷を服属させたた阿倍比羅夫(あべのひらふ)につながる系図だとも言われ、それに、元々、東北に根ざした住人であるといった説があるが定かではないらしい。 
何にしてもこの戦役中、中心となるのは安倍貞任(あべさだとう)という人物である。

一方、清原氏はやはり俘囚の長を自称している。
清原氏は、東北地方で栄えた豪族で、仙北三郡を支配した出羽清原氏である。(現在の秋田県と山形北部地域)

清原氏は天武天皇の血筋といわれ、その皇子である「日本書紀」を表した舎人親王の系統とされている。
又、同系に「枕の草子」を書いた清少納言がいるというが、これも定説でない。
因みに、俘囚とは血筋とは関係なしに、東北地方に元々住んで居た人、或は移住させられた人、土着した人全てを俘囚と呼ばれている。 
その中から大和朝廷の権力によって選出された有力者を俘囚の長と呼んだ。

奥州不穏の中、朝廷は河内源氏の「源頼義」を陸奥守として、事態の収拾を図るため陸奥に赴任することになる。


次回、「前九年・後三年の役」





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