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東北紀行(18)二本松 「高村光太郎と智恵子」 ,
登山標識
薬師岳の展望地
紅葉風景と安達太良連山
紅葉風景とゴンドラ基地方面(ゴンドラが連なる)
ここが薬師岳山頂で標高1350m 。
本日は天候にも恵まれ、紅葉を求めて多くの見物人やハイカー等で込み合っていて、やや騒々しい感じがしないでもない。 そんな事全然気にならないくらい雄大な自然の風景に圧倒される。
少し離れたところに、『この上が、ほんとの空です』、という木製の碑が立っていた。 ご存知の高村光太郎が妻のために詠った「智恵子抄」の有名な一節である。
確かに、今は広い空と澄んだ空気、そして豊かな山がそこにはあった。
智恵子(旧姓長沼)とは詩人・高村光太郎の妻のことであり、明治19年にここ二本松(福島県安達郡油井村字漆原、実家は酒造家で、資産家であった)に生まれている。
大学入学後に洋画に興味を持ち、卒業後も東京にとどまって油絵を学び洋画家となった。
その一方で女子思想運動にも参加するという賢女であり、高村光太郎と知り合って、大正3年27歳で結婚している。
だが、智恵子はどうしても東京の生活に馴染むことが出来ず、一年のうち3、4ヶ月は実家に帰っていたという。
また、油絵もなかなか評価されることが無く、智恵子は悩んでいたらしいが、主人・光太郎は智恵子の素描(絵などを彩色を加えないで書くこと)は素晴らしく、力と優雅とを持っていたと評価している。
時折、「東京には空がない」という智恵子の愚痴や訴えを、光太郎は他愛なく、「あどけない話」として受け止めていたが、智恵子が病没(1941年)するに及んで「智恵子」に関する詩集を多数発表、これを纏めて冊子にしたのが「智恵子抄」である。
30年間にわたって書かれた彼女に関する詩集は、詩29篇、短歌6首、3篇の散文が収録されている。 この詩は昭和3年に発表されている。
又、高村 光太郎は日本の彫刻家、評論家、詩人という多彩な顔をもっている。
東京の下谷に生れている。(現・東京都台東区) 本職は彫刻家・画家と言えるが、「智恵子抄」等の詩集が有名になり教科書にも掲載されるようになったため、詩人として認識されることも多い。
当初の光太郎は社会や芸術に対する怒り、迷い、苦悩に満ちたものだったが、智恵子と出会ってからは、穏やかな理想主義とヒューマニズムに包まれるようになったという。
光太郎は、「私はこの世で智恵子にめぐり会った為、彼女の純愛によって清浄にされ、以前の退廃生活から救い出される事が出来た」と語っている。
詩集・「道程」も有名、他に評論や随筆、短歌の著作もある。
次回、「智恵子抄」
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