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東北紀行・昔の旅人:「松尾芭蕉」 .
芭蕉と弟子の曾良
先ず、御存じ「松尾芭蕉」であるが・・、
『 月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。 舟の上に生涯をうかべ、馬の口とらえて老をむかふる物は、日々旅にして旅を栖(すみか)とす。 も多古人く旅に死せるあり 。』
「百代の過客」とは、月日というのは、永遠に旅を続ける旅人のようなもの・・と、御存知、「奥の細道」の冒頭・序文である。
戸初期、伊賀の国・上野を出て江戸に出向き、45歳で「奥の細道」へ俳諧師として江戸の「芭蕉庵」を旅立ち江戸から日光⇒白河の関⇒松島⇒平泉⇒山形領・立石寺⇒新庄⇒象潟⇒越後⇒出雲崎⇒市振の関⇒山中温泉⇒敦賀⇒大垣と奥州から本州中央部を歩いている。
旅の目的は勿論、陸奥の国(東北)を訪ねながら、俳諧に勤しむことであった。
芭蕉が日本三景の「松島」を訪れたとき、『 絶景にむかふ時は、うばはれて不叶 』(絶景の前では言葉が出てこない)といっている。
その通りかどうか、陸奥道中の道すがら数ある名句を残した芭蕉であったが、この松島では句を詠んでいないのである。
因みに、「松島や ああ松島や 松島や」の句が広く知られていて、これが芭蕉作と言われることがあるが、実際は、江戸時代後期に相模国(神奈川県)の狂歌師・田原坊が作ったものである。
そして、今日世界遺産になった「平泉」を尋ねたとき・・、
『 夏草や 兵どもが 夢の跡 』
『 三代の栄耀一睡の中にして、大門*の跡は一里こなたに有。秀衡が跡*は田野に成て、金鶏山のみ形を残す。先高館*にのぼれば、北上川南部より流るゝ大河也。衣川*は和泉が城*をめぐりて、高館の下にて大河に落入。泰衡*等が旧跡は、衣が関を隔て、南部口をさし堅め、夷をふせぐとみえたり。偖も義臣すぐつて此城にこもり、功名一時の叢となる。「国破れて山河あり、城春にして草青みたり」と、笠打敷て、時のうつるまで泪を落し侍りぬ・・、 』(原文)
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『 五月雨の 降のこしてや 光堂 』。
『 兼て耳驚したる二堂開帳す。経堂は三将の像をのこし、光堂は三代の棺を納め、三尊の仏を安置す。七宝散うせて、珠の扉風にやぶれ、金の柱霜雪に朽て、既頽廃空虚の叢と成べきを、四面新に囲て、甍を覆て風雨を凌。暫時千歳の記念とはなれり・・、』(原文)
と記している。
芭蕉の『奥の細道』は、陸奥の国を尋ねる時、この「平泉」が終点だったともいわれる説がある。
ここが奥州藤原三代の栄耀栄華・北方文化の中心地であったという以上に、彼にとっては西行の愛した藤原文化とその悲劇性にこそ関心があったのであろうと。
ここを旅の終点として、ここから大垣までは気楽な帰路であったともいう。
陸奥の国の風土を愛で(めで)歩きながら俳句をたしなむ私的な道中であったが、他に公的な役割を担い情報収集をともなったとも言われている、
つまり、隠密、忍者であるという説である。
道中でこれにはこんなエピソードもある。
越後の能生町、糸魚川から親不知の難所を越えて「市振の関」に到着し「桔梗屋」という旅籠(はたご)に宿泊したことになっている。
この時の一句に
『 一家(ひとつや)に 遊女もねたり 萩と月 』
詠んでいる。
この句にもあるように、若き女性が(遊女)が「お伊勢さん」へ参るためにたまたま同宿している。
そして、明けの朝遊女らは、芭蕉を修行僧と観て暫しの「同行」を頼むのである。
この遊女達は何処から出発したかは定かでないが、この先、伊勢へ参るには北陸道から若狭(敦賀)へ出て、琵琶湖、米原を経て鈴鹿峠から津を越え、伊勢に至るのであろうが、実に500~600kmの長道中である。
しかし、彼はあっさり、つれなく断っているのである。
普通、若い女性にモノを頼まれれば古今東西を問わず断れないのが男というもんで、多少なりともお付き合いをしてやるのが普通であろう・・。
推測だが、やはり公的(公儀隠密、特に仙台藩の内部調査とも言われる・・??)な仕事にも携わっていたこそ・・、と想像してしまうのである。
いずれにしても当時、一生に一度の伊勢神宮参詣は庶民の夢であったといわれるが、芳紀女性同士の遠路の旅路で、何の願掛けか想像するに難いが、大変な道中であることは確かなのである。
次回は、 「旅人:吉田松陰」
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