2012年2月24日金曜日
東北紀行;「旅のはじめに」(3)
東北紀行;「旅のはじめに」(3)
『人が旅をするのは到着するためではなく、旅をする為である。』 (ゲーテ)
(仮に目的地に到達できなくても、そこに至る道のりには多くの発見がある。 到達という結果しか見ることが出来ない人は、そこに到達しても何も発見しないだろう。 発見する目を持たない人の人生には、何の花も咲かず、実を結ぶこともない。)
「旅」をしようとするにもそれなりの目的やキッカケはあろうが、心に決するのはやはり自分である。
それは積極的、能動的であるのが望ましいが、消極的、受動的であっても構わない、先ず行動を起こす事であるし、旅に限らず物事を起こそうとする時、とかく面倒くさい、億劫だ・・、と思ってしまったら人生の展開、発展性は望めないのである。
日常の矮小な循環社会で、中々時間がとれないという人もいるが、それは言い訳にすぎず、思考力、行動力に乏しいソレッキリの人生であろう。
旅は一人旅でも、二人旅(夫婦旅)、家族旅行でも何でもよいが、周りを干渉しない、されないですむ一人旅はお勧めである、密かに自分を見つめ直す機会にもなるはずである・・。
ところで「あなたの趣味は?」と聞かれて、昨今は皆さんが無意識のように「旅行」と答えているようである。でも、「旅行」って何だろう・・?、「旅」ってなんだろう・・?
よく、「旅行」は現実からの逃避、普段の煩わしさからの逃がれる、違う場所でぼーっとしたい、色んな観光地を訪ね、その土地を歩く、日常を刺激する営みを求める・・などと言われる。
だが「旅」には、しっかりした目的があるはずだし、合わせて修養・冒険でもあり、楽しさもさることながら、辛さとの対比も生ずる。
興味の無い人に言わせれば「なぜそんな」とか、「どうして」と問われても即答に困るのである。 自然との触れ合いとか、異郷との交わりとか、何れも、一端は示しているようであるが・・。
しかし、筆者の場合は単純である、「好奇心」である、別世界を覗き見たい願望である、その単的な例が「山」であったのだが。
次回は、東北地方を愛でながら、強烈な足跡を残した昔の旅人の中から、三人の旅人、松尾芭蕉、吉田松陰、正岡子規を例に挙げてみる。
先ず「松尾芭蕉」から
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