170、日光の世界遺産;二社一寺 「二荒山神社・中宮祠と男体中宮」
奥日光、男体山周辺は、化け物も寄り付かない魔の山とされていた。
この魑魅魍魎の跋扈する奥日光・男体山に挑んだのが、かの勝道上人であった。
勝道は、「われもし山頂にいたらざれば、菩提にいたらず」、つまり山頂に達することが自分の悟りを開くと考え、前人未到の男体山への登頂を志した。
また、釈迦が雪山で苦行をしたという前例から、あえて残雪期の登山を選んだという。
勝道上人の登頂初挑戦は767年(神護景雲元年)4月上旬であったが、嵐にあって撤退を余儀なくされた。 更に、2回目は781年(天応元年)4月上旬、またしても悪天候により失敗した。
そして翌年782年(天応2年)3月、48歳の勝道は今回こそはと意を決し、中禅寺湖畔で経を読むこと7日間、頂上へ踏み出した。
湖畔から山頂まで1,200mの急坂、木々を掻き分け、残雪を踏み、途中2泊の野営を重ね、ついにその宿願を果たしたという。
実に、初挑戦から16年後のことであった。
さて、男体山の山頂にある二荒山神社奥宮と、日光山内にある二荒山神社本社の中間にあるので、中宮祠と呼ばれている。
山麓、中禅寺湖を臨む景勝の地、標高1,200メートルの高地にあり、男体山頂奥宮への登拝口にあたる。
古くは男体大権現・男体中宮と呼ばれました。
頂上の二荒山神社奥宮と日光山内の日光二荒山神社本社の間にあるため、中宮祠と呼ばれています。
勝道上人が山頂をきわめた後、延暦3(784)年、ここに二荒権現をまつる社殿を建てたのがはじまりである。
祭神は二荒山神社(山内本社)と同じ、大己貴命・田心姫命(たごりひめのみこと)・味耜高彦根命(あじすきたかひこねのみこと)の三神である。
本殿・透塀・唐門・拝殿・浜鳥居など重要文化財指定の主要建造物のほか、数多くの建造物があり、本殿右側に山頂奥宮への登拝門がある。
次回、 「二荒山神社・中宮祠」
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