165、日光の世界遺産;二社一寺 「二荒山神社・本宮神社と四本龍寺」
本宮神社 拝殿
本宮神社 本殿
既に、この地域は東照宮境内の北の一角でもあり、東照宮へ参るのが巡であるが、ここは二荒山神社系を巡っているので、このまま第三の宮と言われる「本宮神社」へ詣でることにする。
その宮は、先に紹介した四本龍寺に隣接して鎮座している。
神橋前からだと世界遺産の石碑のある石段ではなく、右手の石段を登ると本宮神社に達する。
つまり、神橋の交差点を渡ったところの正面が、本宮神社の入り口で、日光山内の寺社では一番手前にある。
歴史的にも、日光開創の原点なのだから、当然のことと言えるかも知れない。
石段を上り、鳥居をくぐっていくと、朱塗りの社殿が鎮座する。
拝殿、本殿ともに、二の宮である滝尾神社のそれと全く同一のよな造りで、やや寂れた無人の神社という印象だが、それでも、幽玄な落着いた雰囲気が味わえて歴史を感じる造りである。
社殿は国の重要文化財である。
四本龍寺 観音堂
四本龍寺 三重塔
勝道上人が笈を掛けて休息したという笈掛石
江戸期当初の徳川家の事業といえば、当時の国家プロジェクトだったわけで、山内隅々まで建築手法、色調、彫物などの文化財であふれているのも当然とされるが、本宮神社は言うに及ばず、二荒山系の神社社殿は、江戸期に比べ遥か彼方の年代以前のもので、無論、日光と聞いてイメージする豪華な装飾などはない。
境内には、勝道上人が笈を掛けて休息したという笈掛石(おいかけいし;行脚僧・笈とは修験者などが仏具・衣服・食器などを入れて背に負う箱のことで、修験者が笈を背負いながら腰を下し休息した石)があり、また、本殿のすぐ裏には四本龍寺の三重塔が見える。
古くは新宮(現在の二荒山神社)、滝尾と共に、日光三社と呼ばれた神社で、創建は大同3年(808年)、祭神は、大己貴命(大国主命)-の御子神である味耜高彦命(あじすきたかひこねのみこと)を御祭りしている。
天平神護2年(766)勝道上人が大谷川を渡って日光に入って四本龍寺を開き、翌神護景雲元年(767)その傍ら、現在の本宮神社の場所に二荒山の神を祀った。
現在は末社でありながら、「本宮」と名前が付いているのは納得である。
これが二荒山神社と輪王寺の開創であり、元は本宮神社の辺りが日光の中心であったとされる。
御朱印にも、「日光の原点」とあるのは、そのためである。
次回、「二荒山神社・日光三社のまとめ」
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