154、日光の世界遺産;二社一寺 「二荒山神社・瀧尾神社の拝殿、本殿」
拝殿(右側)と本殿
縁結びの笹、 唐門右側の石柵の中に神竹が茂っています。笹の前で、良縁(人と人との出会い)を祈ると良い人の縁が叶うといわれています。
入母屋造り、総漆塗りの本殿 正徳三年(1713)造り替えられた。
三間社流れ造り、唐門は二脚平唐門、御神体の女峯山を遥拝する為の門、(本殿裏側)
拝殿も入母屋造りで、何れも、建物は300年以上の歴史があるらしい。
本殿は、拝殿とは繫がっておらず、拝殿の後ろの独立した形で鎮座している。
周囲は年輪の嵩んだ大杉に囲まれ、更に、一段高いところで唐門を正面に玉垣(石垣)に囲まれていて、重々しい雰囲気を醸し出している。
建物は「三間社流造り」という古来の方式を守っていて、(日本における神社本殿造りの代表的形式)、その裏に唐門があり、形式は二脚平唐門という単形な造りではあるが、こちらも300年の歴史を有し、周りの玉垣、石畳もその時、設けられたとされる。
本殿の裏壁には扉が付けられており、このことは女峰山を直接、遥拝(ようはい)出来るようになっていて、この様な造りは全国的にも珍しいといわれる。
ところで、“日光責め”という名で有名な輪王寺の「強飯式(ごうはんしき)」(山伏が、大盛りの飯を残さず食べろと責める儀式)は、現在、輪王寺三仏堂で行われているが、この儀式は元々は、この地、滝尾神社で行われていて、この地が発祥の地で伝えているという。
強飯式は別名「日光責め」と呼ばれ、山伏が修行場から供え物を持ち帰り、民衆に分け与えたのが起源とされ、頂戴人(召上る人)は山伏に、「残さず食べろ」、「頭が高い」などと大声で迫られると、無言でひれ伏し、約5キロの飯を盛ったお椀を頭に乗せ、健康や商売繁盛を祈願するぎしきである。
尚、この儀式は国内でも日光山だけのものといわれ、大変珍しいものとされていて江戸期には、徳川将軍家の名代や全国の名だたる大名たちも「わが藩の名誉」として強飯頂戴人に名を連らねた。
というのも日光山といえば天皇の皇子を輪王寺の宮として迎え鎮護国家の道場として天下に知られ、大名といえどもおいそれとは、この儀式に参加できなかったといわれる。
次回、「二荒山神社・瀧尾神社の三本杉」
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