google.com, pub-6886053222946157, DIRECT, f08c47fec0942fa0 世界遺産・日光大紀行: 138、日光の世界遺産;二社一寺 「二荒山神社・下野総鎮守」

2014年10月29日水曜日

138、日光の世界遺産;二社一寺 「二荒山神社・下野総鎮守」






  138、日光の世界遺産;二社一寺 「二荒山神社・下野総鎮守」  








http://www.hunterslog.net/dragonology/ryujatan/kantou/nikkou/img/02.png
日光二荒山神社


http://upload.wikimedia.org/wikipedia/ja/0/04/%E5%AE%87%E9%83%BD%E5%AE%AE%E4%BA%8C%E8%8D%92%E5%B1%B1%E7%A5%9E%E7%A4%BE_%E9%B3%A5%E5%B1%85.JPG



http://www.fukei-kabegami.com/cgi-bin/photo2/384/6368/1024-768.jpg
宇都宮二荒山神社






日光二荒山神社は、江戸時代までは神領約70郷という広大な社地を有していたという。

今日でも、日光三山を含む日光連山8峰(男体山・女峰山・太郎山・奥白根山・前白根山・大真名子山・小真名子山・赤薙山)や華厳滝、いろは坂などを境内に含み、その広さは3,400ヘクタールという、伊勢神宮に次ぐ面積となっている。


二荒山神社の創建は、神護景雲元年(767)勝道上人が二荒山(男体山)の神を現在の本宮神社境内に勧請したのが始まりと伝えられている。

延暦元年(782)には、男体山頂に祠(現在の二荒山神社奥宮)を建立した後は、二荒山修験道の基礎となり、以降、神仏習合の形態となる。

延暦3年(784)には山頂参拝が困難な事も鑑み、男体山麓に二荒山神社中宮祠を建立、弘仁11年(820)には空海が、女峰山の祭神である田心姫命を勧請し滝尾権現を建立して男体山の遥拝所とした。(後の新宮)。


以降、下野国一之宮、関東総鎮守として広く信仰され、鎌倉時代に入ると幕府、室町時代に入ると小田原北条氏から厚い崇敬を受ける。


戦国時代には庇護者である小田原北条氏に組みした為、豊臣秀吉と対立し北条氏が滅ぶと社領が認められないなどの弾圧を受け一時衰退するが、江戸時代に入り、日光の地に徳川家康が祀られることになると幕府から崇敬されるようになり社領の寄進や社殿の造営などが行われ、再び社運が隆盛することになる。


明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏式が廃され神社として独立、二荒山神社本社となり、別宮として滝尾神社と本宮神社という形態が確立、明治6年(1873)には宇都宮の二荒山神社に加えて、社格は国幣中社に列している。



次回、「二荒山神社・親子杉と夫婦」






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