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東北紀行(21)二本松 「岳温泉」 ,
岳温泉街と安達太良連山
温泉街の中央ストリート
岳温泉の源泉は、安達太良山直下にある「くろがね小屋」近辺の広い斜面にあり、その間、温泉街へは8kmも離れていて、引湯管を用いてお湯を供給しているという。
その間、お湯が揉まれ、肌に優しくまろやかな温泉になるという。
古代において、天空に火柱を噴上げる安達太良山は人々の恐れとともに信仰崇拝の対象そのものであった。 更に、熱い水を湧き出す泉もまた「神の泉」として脅威の対象で、人々は祠を作り神と神の泉を祭るようになった。
その神の泉を1200年ほど前、征夷大将軍の坂上田村麻呂が東征の際に発見し開いたとされる伝承がある。
9世紀頃(863年)の古文書にも記載があり、それによると「小結温泉に従五位を授ける」、またその後の記録にも「小結温泉に正五位下を授ける」とあり、この温泉こそが「岳温泉」を指しており、千数百年前の平安時代、既に京の都においてもその存在が知られていた。
桓武天皇の命で坂上田村麻呂が京を出立し、奥州へ遠征して平定するのが平安初期であり、岳温泉の名が平安期の文献に見られることは、田村麻呂が京において紹介したのではないかと勘ぐってもおかしくは無いようである。
水戸藩主や隠居中の水戸黄門も訪れたと伝えられるように、温泉街の一角には藩公御殿
も在ったらしく、江戸期の「諸国温泉効能鑑」の全国温泉番付によれば「陸奥の岳温泉」の名で東北地方第1位にあたるとされていた。
江戸期から明治にかけては土砂崩れや火災に遭遇し、特に戊辰戦争の際には官軍の拠点になることを恐れた二本松藩によって温泉街は焼き払われたという。
そしてその都度、名称は湯日、十文字、深堀、そして「岳」と変わり、場所を移し姿を変えてきた苦渋の足跡もあったようである。
その後、現在地に温泉街が再建されている。
昭和30年8月24日、国民保養温泉地に指定された。
次回、福島 「佐藤氏と兄弟」
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