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東北紀行(4)いわき湯本 「常磐炭鉱」 ,
我が故郷「いわき湯本」は本格的な温泉場として全国的にも著名になっている。 そして昔は常磐炭鉱で栄えた街でもあった。
小生はこの街で幼少より20代前半まで、こちらで営々としていたのだが。
ただ、生まれは満州国・奉天市(今の中国東北部・瀋陽)であり、終戦後、引揚げてきて父の故郷である「いわき湯本」へ住み着いたのであった。
いわき湯本の地方は東北地方でも降雪が少なく、比較的温暖な地域で、古くから温泉を抱える保養地として発展した。
又、炭鉱の町として一時期黄金時代を築いたが、1970年代に完全閉山している。 その跡地には1966年に常磐ハワイアンセンター(現スパリゾートハワイアンズ)などが建設され、「常磐のハワイ」として人気を誇っているのは周知である。
その過去のものとなった懐古・常磐炭鉱と湯本温泉についてチョッと詳しくのべてみよう。
常磐炭鉱
「湯本」は文字通り古い温泉の街である。
そして、克ってはあの「常磐炭鉱」で賑わった炭鉱の街で、日本のエネルギー産業の柱であった「黒いダイヤ」と云われた石炭産出の街であった。
明治時代初頭から、福島・茨城両県の海岸に面する丘陵地帯にかけて大規模な炭鉱開発が行われた。 これは、首都圏に最も近い炭鉱として注目、期待されたためでもあった。
昭和中期の頃は、石炭はいくら掘っても間に合わぬ好況ともいわれた。
常磐炭田の鉱山は、常磐地方(常陸:ひたちと磐城:いわきの頭文字を合わせた地名)一帯に広がり、関連会社60社、大小あわせて130の炭砿が稼働し、一時は年間産出量400万トン以上、貯炭は450万トンに達していたという。
国内の採炭分布では北海道、九州が大勢しかを占めているが、本州では常磐炭田が唯一大規模の採炭量を誇ったという。
しかし、北海道や九州に比べて硫黄分の多い炭質という不利な条件があり、更に地層が激しい褶曲(堆積当時は水平であった地層が地殻変動のため波状に曲る現象)を受けていた掘削は石炭層を求めて地下へ地下へと掘り下げる必要があり、特別な技術を要する炭鉱でもあった。
遂には次第にコスト的に負担がかかり、各鉱は採算が次第に悪化していったともいう。
しかも、この石炭を掘り出す際、この湯本地区は同時に温泉が湧き出てきて、掘り出すのに相当に難儀をしたらしい。
その後、化石燃料の変化にともない石炭は次第に斜陽の追い込まれ、経営的にも苦難を強いられ次々と閉鎖していった。 最後まで残った常磐炭砿(後の常磐興産)の所有する鉱山も1976年に閉山し、国内の石炭業自体も1985年に全面撤退している。
写真:石炭化石館
今は、「石炭化石館」として、往時の常磐炭田の採掘の歴史や産出化石をはじめ、地球の歴史を物語るといわれる諸外国の化石資料などを展示している。
中でも、中生代の「フタバスズキリュウ」という海に住んでいた首長竜の化石がこの町から出土し、原形を復元された姿での化石が展示されている。 その巨大なモニュメントが玄関前に設置されている。
次回、いわき湯本 「湯本温泉」
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