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東北紀行;陸奥の国(東北地方)が「世界文化遺産」 ,
平泉藤原文化の象徴・中尊寺金色堂
※ 2011年6月、この陸奥の国・平泉地方に快挙が報じられた・・!! ,
フランスのパリで開かれていた国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産委員会は、日本が推薦した「平泉」(岩手県平泉町)を、世界文化遺産に登録することを決めた。
日本の世界文化遺産としては、07年の「石見(いわみ)銀山遺跡とその文化的景観」(島根県大田市)に続き4年ぶり12カ所目になつという。
昨年(2011年)3月、陸奥の国は「東日本大震災」で大きい被害を受けただけに、「平泉」は被災地復興のシンボルとなりそうだ。
頑張ろう・・!、日本。
頑張ろう・・!、陸奥の国。
ここで、平泉が隆盛を誇るまでの東北の歴史を掻い摘んで嘗めてみよう。
古代、律令制(大宝、養老律令)が実施されてから「日本」という国名が付けられた。
併せて、国の形や境界、地域国名、往来道路の名称が付された。
其の中で北の地、東北地方には陸奥国、出羽国という二つの地方国が置かれ、これが江戸時代まで続くことになる。
陸奥国と出羽国の領域に相当する地域を、両国の奥と羽をとって「奥羽地方」とも言った。
陸奥国の国府が仙台平野の多賀城に置かれ、出羽国の国府が庄内平野の酒田に置かれたが、ことでわかるように陸奥は「内陸国」の、出羽は「沿岸国」の傾向が見られる。
太平洋側(陸奥国)は、平野部がいわき市周辺、仙台平野、八戸周辺のみと乏しく、波も荒く海流も強いため、陸上交通は関東地方との関わりが深く「内陸国」としての歴史が綴られているのである。
一方、日本海側(出羽国)は、沿岸に庄内平野、秋田平野、能代平野、津軽平野と、内陸部につながる沿岸平野が、ほぼ均等な間隔で存在しとぃる。
日本海の北前船に代表されるように古代から明治時代まで、海運による京阪、近畿地方との関わりが深く、「沿岸国」としての歴史が綴られている。
古代、「陸奥国」は大和朝廷の勢力圏の北端に位置していた。
そして時代によって、陸奥の国の範囲は平安時代に入るまで定かでなく、大和朝廷が実効支配していたのはほぼ現在の福島県、宮城県の一部の範囲であって、それ以北は蝦夷(えみし)の支配する豊穣の地であった。
9世紀初頭になって、「坂上田村麻呂」を指揮官とする朝廷軍の侵攻により、大和朝廷の勢力は現在の岩手県にまで到達し、802年になって鎮守府と称する胆沢城(現在の岩手県奥州市)に移される。
その後、大和朝廷の勢力は順次北上し、10世紀半ばに岩手郡が成立して奥六郡が完成したと考えられている。
11世紀には奥州・安倍氏が大和朝廷から「六箇郡の司」と呼ばれる地位を与えられて、この地域に大勢力を築いている。
しかし、安倍氏は河内源氏の源頼義、出羽清原氏との抗争である「前九年の役」の後に滅亡し、奥六郡は出羽清原氏に継承される。
ところがその20年後、今度は出羽清原氏に内紛が発生し、これに源義家が介入して「後三年の役」と呼ばれる戦乱が発生。
最終的に奥六郡は安倍氏の惣領であった安倍頼時の孫で、藤原摂関家の末流を名乗る「藤原清衡」(藤原4代の初代)が支配するところとなった。
その後の寛治元年(1087年)から源頼朝に滅ぼされる文治5年(1189年)までの凡そ100年の間、陸奥・平泉を中心に出羽を含む東北地方一帯に勢力を張ることになる。
長治2年(1105年)に清衡は本拠地の平泉に最初院(後の中尊寺)を建立する。
永久5年(1117年)には基衡が毛越寺(もうつうじ)を再興した。
その後、基衡が造営を続け、壮大な伽藍と庭園の規模は京のそれを凌いだと言われている。
更に、天治元年(1124年)に清衡によって中尊寺金色堂が建立された。
屋根・内部の壁・柱などすべてを金で覆い奥州藤原氏の権力と財力の象徴とも言われる。
奥州藤原氏は清衡、基衡、秀衡、泰衡と4代100年に渡って繁栄を極め、平泉は平安京に次ぐ日本第二の都市となったのである。
次回から「東北紀行へ」
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