179、日光の世界遺産;二社一寺 「二荒山神社・中宮祠と登拝祭(Ⅱ)」
行事は、7月31日の午後から始まる。
白装束の行人-ぎょうにん-行列は温泉街を通り、一行は夕方、1合目まで登山する。夜、中宮祠の社頭で、氏子の奉納するお囃子-はやし-で「深山踊り-みやまおどり-」の輪が広がる。
中禅寺湖上では灯籠流し-とうろうながし-があり、花火も打ち上げられる。
真夜中の午前0時とともに、本殿のご神体に参拝した人たちが、いっせいに登拝門から山頂の奥宮に向かって登るのである。
登拝は、祭りの終わる8月7日までつづくが、4日には湖畔で「扇の的弓道大会」がおこなわれ、屋島の合戦で活躍した那須与一にちなんで、湖上に扇をかざした船を浮かべ、それをめがけて射る弓の大会である。
那須与一は下野国(栃木県)那須の人で、源平合戦で源義経の軍に参じるとき、二荒山神社に戦勝を祈願したと伝えられている。
因みに、那須与一は弓矢の名手として知られ、源平の戦いにおいて源氏・義経軍に参戦している。
讃岐屋島へ逃れた平家を追って、義経は海路阿波に上陸、陸路屋島に迫り、背後から平家を急襲した。
驚いた平家軍は、船に乗って海へ逃げたが、源氏軍が案外少数と知って応戦し激しい攻防が繰り返された。
日が暮れて両軍が兵を引きかけている時、沖の平家軍から年若い美女を乗せた小舟が一艘漕ぎ寄せてきた。
美女は、紅地に金の日輪が描かれた扇を竿の先にはさんで船べりに立て、陸の源氏に向かって手招きをしている。
これを見た、義経は、弓の名手・那須与一宗高に扇を射抜くよう命令した。
与一は、馬を海に乗り入れたが、扇の的までは、まだ40間余り(約70メートル)もあり、しかも北風が激しく吹いて扇の的は小舟と共に揺れている。
「南無八幡」と心に念じた与一が渾身の力で鏑矢を放つと、矢はうなりを立てて飛び放たれ見事に扇の要近くに命中。
扇は空へ舞い上がり、ひらひらと海へ落ちた。
この様子を固唾を飲んで見守っていた源平両軍は、どっと歓声を上げて与一を褒め讃えたのであった。
案内・注意
1・山頂まで普通は3~4時間、山道6kmです。
2・水場がありませんので水は必ず持参。
3・雨具、防寒具を用意。
4・3~4合目は広い工事用道路になり4合目の石鳥居をくぐり登山路に入ります。
5・7~8合目、頂上付近はガレ場になりますので、スリップや落石等に充分ご注意。
6・5、7、8合目、頂上には避難小屋があります。)七合目の避難小屋は破損激しい)
7・焚き火、植物の採取は禁止です。
8・自然の中ではゴミ、空き缶等は必ず持ち帰ること。
次回、「二荒山神社・中宮祠と文化財」
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