160、日光の世界遺産;二社一寺 「二荒山神社・瀧尾神社概要」
楼門
拝殿と本殿
三本杉
さて、「滝尾神社」は、日光の宗教的歴史の中でも、強いて言えば尤も重要な地域であろう。
ところが、日光山内と違って観光色が無く、一般観光客も少なくひっそりとした地域で、雰囲気は身も心も癒されるところである。 是非、日光の寺社拝観には入れておきたいコースである。
それに、日光山を中心に周回で巡れる様にもなっていて、このコースは仮の名を「日光歴史探勝コース」ともいわれて、あの神橋から日光山内の輪王寺、東照宮を巡ってから滝尾道を経て、滝尾神社へ到り、帰りは行者堂から山内の二荒山神社と大献院を巡るコースである。
無論、全く逆のコースも考えられ、小生はこの逆のコースがお勧めであるが、やはり、系統的に、目的をもって巡回参拝するのが最も良いことである。
いずれにしても、ユックリ、ジックリ拝観するには、まる1日程度は考えていたほうが良さそうである。
境内には無念橋、酒の泉、子種石、縁結の笹、運試しの鳥居など史跡も多く霊地として信仰されていた名残が随所に見られ、本殿はじめ多くの社殿が国指定重要文化財に指定されている。
二荒山神社の創建は、奈良時代の後期、勝道上人が男体山頂に社殿を建立したのが始まりとされ、更に、一般参拝者が登拝が困難な事から麓に中宮祠を建立、その後、空海が女峰山の麓に滝尾権現を建立して遥拝所としたとされている。
空海は、御存知、平安初期の真言密教の祖である。
しかし、日光山輪王寺は天台密教の影響を受け、現在に到っても天台宗の寺院である。 それは、勝道上人は元より、偉大なる滋覚大師・円仁によるところが大きいとも言われる。
それ以前、つまり空海より前の奈良前期頃には、既に、女峰山への登坂ルートとして、修験道が拓けていたのであった。
滝尾神社は、日光二荒山神社の別宮というより、女宮であろう。 本宮(子宮)、新宮(現在の二荒山神社・男宮)とともに日光三所権現の一つであり、女峰山の女神、田心姫命(たごりひめのみこと)を祀る。
明治初年の神仏分離までは楼門には大師の筆といわれる「女体中宮」の額が掲げられ、仁王像が安置されていたという。
本殿裏には、石鳥居や石灯籠、石柵を配した「-三本杉」の巨木が立ち、これは御神木とされていて、この地が滝尾の大神である「田心姫命」が降臨したところと伝えられている。
次回、瀧尾神社の白糸の滝
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