google.com, pub-6886053222946157, DIRECT, f08c47fec0942fa0 世界遺産・日光大紀行: 168、日光の世界遺産;二社一寺 「二荒山神社・中宮祠と男体山」

2014年12月16日火曜日

168、日光の世界遺産;二社一寺 「二荒山神社・中宮祠と男体山」






  168、日光の世界遺産;二社一寺 「二荒山神社・中宮祠と男体山」  






http://www.geocities.jp/flow_and_stock/jisya-kanto/P10109291.jpg



 http://www.geocities.jp/flow_and_stock/jisya-kanto/P10109351.jpg
二荒山中宮祠と男体山


http://www.geocities.jp/flow_and_stock/jisya-kanto/P10109381.jpg




二荒山中宮祠





大昔、私たち日本人の先祖は、天高くそびえ、雲、雨、雪、かみなりなどさまざまな自然現象を展開し、命のもとである大切な水を恵んでくれる高い山々に、惧(おそれ)れと尊敬の心を抱いた。

そして、そこには神がいると信じられ、自然に生まれた山岳信仰が芽ばえたのである。


関東平野の北方にそびえる霊峰二荒山 (男体)も古くから、神のおられる山として、敬われてきた。
その、中禅寺湖の北岸、男体山山麓の景勝の地に、二荒山の神が鎮座する神社が、二荒山神社中宮祠である。


一般に日光というと、市街地(日光市内・日光山内)方面のことを呼ぶ場合が多い。

これに対して、中禅寺湖や男体山周辺、さらに湯元方面まで含むエリアを奥日光という。
それは概ね、清滝を過ぎた「いろは坂」以降、特に、ここからよく見える「屏風岩」が境ともいわれる。 

尤も、湯元エリア付近のみを奥日光と呼ぶ人もあるようで、と言うことは、中禅寺湖、中宮祠辺りは中日光と呼んでもおかしくない様だが・・?。
 


その中宮祠御本体である男体山は、二荒山とも呼ばれ、その「ふたら」とは観音浄土の補陀洛(梵語-ぼんご-)から出ていることは再三述べた。

二荒山の命名説は、「屏風岩の穴から現れる風神と雷神が 年に2回嵐をもたらし、荒れるから」という説がある。


また日光という地名は、「二荒」を音読みにしたものともとされ、元々は、市街地方面を日光と呼んでいたわけではないのである。


次回、中宮祠と二荒山





【小生の主な旅のリンク集】

《日本周遊紀行・投稿ブログ》
GoogleBlog(グーグル・ブログ)   FC2ブログ    seesaaブログ   FC2 H・P   gooブログ   忍者ブログ

《旅の紀行・記録集》
「旅行履歴」
日本周遊紀行「東日本編」   日本周遊紀行「西日本編」   日本周遊紀行 (こちらは別URLです)  日本温泉紀行 

【日本の世界遺産紀行】   北海道・知床   白神山地    紀伊山地の霊場と参詣道   安芸の宮島・厳島神社   石見銀山遺跡とその文化的景観   奥州・平泉   大日光紀行と世界遺産の2社1寺群   

東北紀行2010(内陸部)    ハワイ旅行2007   沖縄旅行2008   東北紀行2010   北海道道北旅行   北海道旅行2005   南紀旅行2002   日光讃歌



【山行記】

《山の紀行・記録集》
「山行履歴」   「立山・剣岳(1971年)」   白馬連峰登頂記(2004・8月)   八ヶ岳(1966年)   南ア・北岳(1969年)   南ア・仙丈ヶ岳(1976年)   南アルプス・鳳凰三山   北ア・槍-穂高(1968年)   谷川岳(1967年)   尾瀬紀行(1973年)   日光の山々   大菩薩峠紀行(1970年)   丹沢山(1969年)   西丹沢・大室山(1969年)   八ヶ岳越年登山(1969年)   奥秩父・金峰山(1972年)   西丹沢・檜洞丸(1970年)   丹沢、山迷記(1970年)   上高地・明神(2008年)

《山のエッセイ》
「山旅の記」   「山の歌」   「上高地雑感」   「上越国境・谷川岳」   「丹沢山塊」   「大菩薩峠」   「日光の自然」

0 件のコメント:

コメントを投稿

01. 15.

トラッキング