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東北紀行(38)花巻 「宮沢賢治人物像」 ,
天才・宮沢賢治
宮沢賢治は1896年(明治29年)8月27日、花巻の母イチの実家で生まれている。(1896-1933)
盛岡高等農林卒業後(現岩手大学農学部)、花巻で農業指導者(花巻農業学校教師)として活躍のかたわら創作活動をして詩人・童話作家としての名を上げる。
又、自然と農民生活で育まれた独特の感覚や宗教心に目覚め生涯、法華経を敬信したとされる。
童話「銀河鉄道の夜」、「風の又三郎」、詩集「春と修羅」など多くの作品を残している。
転機となったのは29歳の時に「草野心平」と巡り会ったことであり、彼の積極的な紹介により宮沢賢治の名前が世に少しずつ知られるようになっていく。
1933年(昭和8年)9月21日午後1時半、花巻の宮澤家で結核のため死去、享年37歳の若さであった。
1931年に東北砕石工場技師の技師を担当するが東京で病に倒れ、帰郷して創作に専念するようになる。同年、手帳に『雨ニモマケズ』を書き留める。
又、鉱山会社勤務の経験や近隣を走る「岩手軽便鉄道」(現在の釜石線)に度々乗ったことで鉄道の駅舎の命名や東北地方では有名な座敷童(わらし)をモチーフした「風の又三郎」や「銀河鉄道の夜」の創作が実を結んだとも云う。
宮沢賢治の数ある作品の中で、『雨ニモ負ケズ』は余りにも有名な詩であり、何行かは暗唱できる方も多いことだろう。
死後発見されたとされるが、死の2年前に書かれたものという。
「東北砕石工場」の技師となり、夢を抱いて上京したが運命は皮肉だった。
その時期、賢治は急に発熱をして倒れ、その症状は思いの外深刻なもので、遺書を書いたほどだったという。
何とか花巻の実家に戻った賢治だったが、床に伏せる日が延々と続いた。
そんな時、枕元に置いていた手帳に書いたものが、この「雨にも負けず」という散文であった。
一人の農民と して生きていきたいという賢治の理想とともに、行間には生に対する渇望と死の覚悟が読みとれる。
次回、賢治 「雨にもまけず」
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