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東北紀行(14)いわき湯本 「長谷寺」 、
いわき湯本の「長谷寺」は、他の二院と比べてやや地味ではあるが・・?
因みに筑波山については、「筑波詣」の記録に「本尊観世音坂東の札所なり。大堂巍々雲を貫き、結構美々たる荘厳は、中々言語に絶したり」とある。
又、「筑波山縁起」によれば「近国他国より参詣の輩、袖を連ね裾をからげ、昼夜の堺も無く、山の繁昌時を得たる有様であった」と記されている。
何れも、参詣者は途切れることなく大繁盛として記録されている。
筑波山・中禅寺は、筑波神社との神仏習合の地であった。
そして、磐梯山・恵日寺(慧日寺;会津の項で詳細に記載します)は会津地方最古の寺で、磐梯山の大噴火の翌年(807年)に開いたとされている。
磐梯恵日寺(えにちじ)は、現在の磐梯町の町域ほとんど全部をその境内とするほど広大な敷地を有し興隆をきわめたという。
無論、藤原一族の援助もこれあり、一時は寺僧300人、僧兵6000人、堂塔伽藍は100を超え、子院3800坊を数えたという。
恐ろしい天変地異の後なので、農民達はあっさり入信したといわれ、会津地方に仏教文化が大きく花が開いた。 今でも厚い信仰と優れた仏教遺産が残っている。
広大な寺跡は昭和45年に国の史跡に指定され、将来に向けて復元整備が図られようとしている。
磐梯山・慧日寺は、磐梯神社との神仏習合の地でもある。
そして、地元・湯本の長谷寺は・・?、
「宇治山・長谷寺」は、湯の岳をいただく裾野のいわき市は湯本にある。
正確には、いわき市上湯長谷堀の内地区で、湯本温泉地から歩いてもすぐのところである。
長谷寺の現状は、上記の二院ほどの華やかさは今のところは無い。
徳一が蝦夷開発の前線基地とし隣国の常陸にも近く、藤原家の後押しがされたと思しき長谷寺は、往時は壮大無比の大寺院と想定されている。 だが、今のところそのような痕跡はまったく無いのか、或いは発見されてはいないのである。
しかし、霊峰・湯の岳を仰ぎ、霊験あらたかな温泉神社を配し、道後温泉、有馬温泉とともに三大古湯といわれる「サハコの湯」の古湯に漬かれば良しとしよう。 これも藤原徳一の思し召しと思えば良しとしよう。
陸奥の国・「いわき湯本」が大きく拓けるのは平安中期以降の頃で、藤原家の人々や源家の武人が「勿来の関」で歌を詠み、「サハコの湯」に漬かって風雅に過ごしたとされる。
後には戦国大名の来湯も多くあり、江戸時代は浜街道唯一の温泉宿場町として 文人芸人の来遊が絶えなかったという。
次回は、 いわき湯本・「徳一と新興仏教」
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