google.com, pub-6886053222946157, DIRECT, f08c47fec0942fa0 世界遺産・日光大紀行: 東北紀行(23)仙台 「始祖・伊達政宗」

2012年3月28日水曜日

東北紀行(23)仙台 「始祖・伊達政宗」

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 東北紀行(23)仙台 「始祖・伊達政宗」  ,


福島から宮城にかけては褶曲した山間地を走る。
村田からは山形道が通じているが、その庄内山形や「蔵王」の事については帰路立寄ることになっているので、記述はその時にいたします。


さて、仙台はさすがに東北一の街で、高層ビルもチラホラ見えている。
杜の都・仙台市は慶長5年(1600年)伊達政宗が開いたというのは衆知のことで、仙台といえば伊達藩、伊達藩と言えば「伊達政宗」であろう。

東北の覇者、「伊達者」(だてもの)といわれた正宗は、御存じ「戦国の雄」として名を成し、「秀吉・家康を翻弄した男」ともいわれる。 
伊達者(だてもの)」とは、朝鮮出兵時に政宗が揃えた戦装束が余りに派手で華美なものであり、上洛の道中において巷間(ちまた)の噂となったことから呼ばれるようになったといわれる。 これ以来、派手な装いを好み、着こなす人を指してと伊達者と呼ぶようになったと伝えられる。

だが、正宗の本音は派手好みの秀吉の気に入るよう、危ない橋を渡らないようにと十分な気配り、計算をしたものでもあった。 
この「伊達者」から、人目につくように形を表す意味;侠気を示す意;派手に振舞うの意になり「伊達な若い衆」、「伊達や粋狂じゃない」などと言われ、又、見えを張ること;外見を飾ることで「伊達めがね」などと言われるようになった。



伊達政宗は1567年に「米沢城」で生まれている。 
1567年といえば室町末期に当り、世は戦国期の動乱に入ろうとしていた時期である。
因みに、同時期の織田信長(34歳)は美濃・斉藤家の稲葉山城を陥し、「天下布武」を発して京に上った時期であり、秀吉(31歳)は信長傘下で墨俣城を築城し、美濃攻めで稲葉山城を攻略、美濃の竹中半兵衛を軍師に迎える。 
又、家康(26歳)は、今川義元亡き後、武田信玄と協定して今川氏の領国を割譲し、遠江(とうとうみ)を得ている。

豊臣政権下の政宗25歳の時、米沢の約150万石から73万石に減封となり、岩出山城に入る。 米沢城はその後、米沢藩の主城となり上杉家の名相・上杉景勝、上杉鷹山(ようざん・治憲、日向国高鍋藩出身)などの居城として有名である。 


伊達政宗は豊臣政権時代から隙あらば天下を収奪しようと何度も策略していたとされ、中央から常に警戒されてもいたという。 
彼は『あと20年早く生まれていれば、天下が取れたのに』と悔しがっていたともいわれる。
徳川期の正宗は、後の三代将軍・徳川家光からは尊敬されていたらしい。 
家光に「伊達の親父殿」と呼ばれていたこともあり、将軍就任の際に、正宗は率先して頭を下げ諸侯を抑えたともいわれる。 
病床に着いた際も将軍・家光自らが見舞ったり、医者の手配をするなど配慮を見せている。 
将軍の前での脇差帯刀も許されていたが、側近が酔って居眠りする政宗の刀を調べると中身は木刀であったともいわれる。
伊達者・伊達政宗は、1636年(寛永13年)5月江戸で永眠した、享年70歳であった。 

独眼流正宗は、「たとえ病で失ったとはいえ、親より頂いた片目を失ったのは不孝である」という考えから、死後作られた木像や画にはやや右目を小さくして両目が入れられているという。

辞世の句は・・、

  『 曇りなき 心の月を 先だてて 
               浮世の闇を 照してぞ行く
 』



次回、仙台・「青葉城



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