東北紀行(7)いわき湯本 「湯の岳と温泉神社」 、
我が故郷の温泉地としての守り神である「湯の岳と温泉神社」について少々述べてみよう。
我が故郷、古巣は湯本駅を降りると左方向に在する。
温泉神社の方向はその逆で、常磐線の「湯本駅」から右方向、天王崎を過ぎると間もなく左に石柱で造られた鳥居が在り、鳥居を潜って石段を上ると立派な社殿が現れる。
「温泉神社」である。
少年時代には良くこの辺りで遊んだものである、というよりこの辺りは中学校(湯本第一中学校)への通学途上でもあった。
五月の初頭に行われる例大祭の「さつきまつり」は、地域住民の最大の楽しみであった。
現状は定かでないが、当時は温泉に感謝するため、各旅館が温泉を樽に汲み入れ神前に奉納する「神社献湯式」が本殿で行なわれ、大小の神輿や長持(衣服・調度などを入れて保管したり運搬したりする長方形で蓋のある大形の箱で、江戸時代以降さかんに使われもの。神事・婚礼などで長持唄を唄いながらゆったり運ぶ)、その他の祭事で大変賑わったのも記憶している。
温泉神社は、旧来の地名に因んで佐波古神社(現在は湯本町三函)とも称し、社家にも伝わる。
その「神幸由来記」などの古文書によれば、神代の昔、『湯の岳』が御神体山であり信仰の山であって、白鳳年間(奈良期の7世紀頃)、この「湯の岳」より降臨(神仏などが天降ること)して里宮とし、遷座されたと記されている。
言伝えや伝説によると、日本武尊が東征のため当地に進駐の折、大和国・三輪大社(現在奈良県桜井三輪)の主神・大物主神(オオモノヌシノカミ・大巳貴命・大国主命)を勧請、分社し、少彦名命(スクナヒコノミコト、神話時代の国造りの神:大国主神とともに全国を回って国土を開拓した神とされている。医薬の神)と共に合祀されて、以来二神が郷民によって祀れたという。
祭神は地下資源の神、医薬を司る神で湯本町の鎮守様として広く崇敬をあつめている。
その「湯の岳」は、我等町民の山であり、常磐道のいわき湯本I・Cのすぐ横に聳える山で、稜線は弧を描いたなだらかな緑豊かなの山である。
我等の小学校、中学校の校歌にも詠われ、小生が小学校5、6年の時はクラスが五組であったので「ゴクミ・593」、つまり標高が593mであったのを今でも記憶に有り、印象に残っている。
次回、大和・三輪大社と湯の岳 、
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