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東北の旅 .
古代(奈良、平安)、東北の一時期はある種の隆盛をみた。
奈良時代、聖武天皇の頃は東北から「金」が産出し、奈良・東大寺の大仏殿建立をはじめ、各地の国分寺の建設に寄与し、日本の国土発展に尽くした。
その金を元手に、平安後期には100年間に亘って奥州藤原文化が華開いた。
しかし、それは長い年月に見ればほんの一時で、東北地方は永年にわたり人為的にも自然現象的にも虐げられていた国であった。
室町将軍に言わせれば・・、
「遠国のことは少々の事であれば、将軍の意にそわなくともそのままにしておけ」
と、東北地方は幕府の政治には関与させなかった。
中央(京)からみれば最も北又は西の国は前政権の「鎌倉」辺りで、東北は一国として見なされていなかったのだ。
東北の歴史は過酷であった。
繰り返し降りかかる天災、人災。
古くは貞観の大地震と大津波(西暦869年;貞観2年の地震と大津波で多賀国府;宮城県は壊滅的な被害を受ける。地震はM8程度、津波は10m前後)、江戸期における大飢饉。
人為的には平安初期の奥州征伐(前九年、後三年の戦い)から始まって、明治維新までの
戊辰戦争時の会津征伐から東北の戦役など。
明治維新の折、東北諸藩の多くは賊軍とされ、この時、長州の誰かが「白河以北は一山百文」(東北の価値は一文に過ぎず)とあざけりを受けたこともある。
東北通は、「東北地方において、戊辰戦争で奥羽越列藩同盟が新政府に勝っていれば仙台(周辺)が日本の首都になった」として、「仙台首都説」を吹聴した者もいた。
そういえば遠い昔、京から観たら遥かに遠国であった「関東・鎌倉」の地に首府ができた時代もあった。
盛岡出身の作家・「高橋克彦」は、主として東北地方のエリアを描いていた。
氏曰く・・
『 古代から近代までの東北は敗者の暮らす土地であった。 弥生文化に席巻された縄文文化;中央朝廷の蝦夷・エミシの統一化;源氏に滅ぼされた藤原平泉文化;豊臣秀吉の天下統一最後の合戦場(岩手県・九戸);官軍の東北侵攻など、ことごとく侵害を受け、敗北を喫している。 その度に築き上げた豊かな文化は白紙に戻され、勝者によって歴史が改竄(かいざん)されてきた。 こんな国が他にあるだろうか・・ 』
幾多の困難を乗り越えて、近代になって漸く(ようやく)北海道から沖縄まで日本は一つになり、東北地方の苦しみも脱したかに見えた。
ところが、平静な筈だった平成の世に、再び自然は東北に対して1000年一度と言われる大牙を剥いたのである。
次回、「大震災の記憶」
祝い・・!! 平泉地方が世界文化遺産に決定。(2011年6月)
「東北紀行2010(内陸部)」 http://orimasa2009.web.fc2.com/tohoku.htm
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